☆三国模様の( ´−`)
絶体絶命(またも百恵ネタw)。
普仏戦争以降、しばらくはビスマルク外交(体制)によりヨーロッパでは戦火を交えることがなかった。ヴィルヘルム1世の死後、3代目皇帝のヴィルヘルム2世は、各国の利害調整を図るビスマルクの手法を生ぬるいと思い宰相を罷免した。ウチの軍隊強いしぃ、正面からぶつかっても勝てるからぁ、と思ったのであろう。しかし、ビスマルクが一番恐れていたロシアとフランスが手を結ぶことで、第一次世界大戦、第二次世界大戦ともドイツは二正面作戦を強いられて敗北することになる。
http://www.y-history.net/appendix/wh1202-129.html
http://www.ravco.jp/cat/view.php?cat_id=5686&PHPSESSID=4ojmuao9r1sp570mu7gecfvmd5
新参者への警戒感、戦闘が英仏vs独という組み合わせになったことから、第一次世界大戦後のドイツには海外領土と欧州領土の大幅な縮減と膨大な賠償金の支払いが課せられた。2兆倍とも言われるハイパーインフレが発生し、ドイツ経済は壊滅寸前になった。その後、デノミ政策や賠償金の実質減額を経て一息ついたところで世界恐慌が勃発し、ドイツはヒトラーの元で再軍備・戦争の道を歩み、またも敗北することになる。
第二次世界大戦後、海外の植民地が相次いで独立したこと、多大な戦費の償還などで、英国の世界政治経済への影響力が大幅に低下し、米国が新たな覇者となる。そこに、(西)ドイツ(とオーストリア)の経済の奇跡と、英国が当初加盟していなかったECSC/EEC/ECの成功が重なり、英国置いてきぼり感が強まる。ユーロの前哨戦であるEMS(欧州通貨制度)とERM(欧州為替相場メカニズム) を英国も加入したところ、英ポンドが売り浴びせを受けて為替は大混乱し、短期間にERMを脱退することになった。
ところが、ユーロが始まったあとリーマンショックを経て、ユーロ圏の不況に対して、英国では英ポンド安が定着したことで対外競争力が強くなり、英国経済は大幅に改善するという、皮肉な結果となった。英国もEUには加盟しており今年は110億ポンド(1.7兆円)ほどを拠出する見込み。これが多額であること、かつ、ギリシアなどの債務超過の国に使われることを、英国は問題視している。ドイツはユーロ圏ではやや好況を維持していて、圏内の国同士は相互扶助が原則と考えており、両国の考えは大きく異なる。
更に、フランスが今はドイツにべったりなのも、英国の、ライバルを奪われた感、仲間はずれにされた感を生んでいると邪推している。移民問題もEU離脱の理由の一つと言われてきたが、当初の移民ウェルカム路線が修正された今、人種差別的な指向を除けば決定的な理由ではないと考える。
英サン誌がEU離脱派宣言!と報じられた。ここは発行部数最大という点から、他国では昔から高級紙と誤解されている節もあるが、実際には右翼系のタブロイド紙。週刊大衆・週刊ポストなどの出版社系週刊誌の日刊版と考えていい。EU離脱派なのも、上に書いた移民問題への反対が主な理由である。
http://moshige.blog.shinobi.jp/%E3%81%BE%E3%81%A8%E3%82%81/brexit%E3%81%AE%E3%81%8A%E8%A9%B1-%E3%81%9D%E3%81%AE3-Brexitのお話(その3)