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Brexitのお話(その2)

☆ゲルマンvsカルマ( ・o・)

 375年ゲルマン民族の大移動、世界史の教科書レベルの話を蒸し返してどうする?という突っ込みを華麗にスルーして、英独仏は基本的に同一民族であることを確認したい。ドイツは英語でGermanと呼ぶし、フランスはゲルマン系の国家フランク王国から来ている。英国民は大陸からグレートブリテン島に侵入したゲルマン系のアングロ・サクソン人の末裔である(細かく言うと、ケルト人やデーン人@バイキングの血も入っている)。

 フランク王国は、現在のフランス全土に加えて現在のイタリア北部、ドイツ西部、オランダ、ベルギー、ルクセンブルク、スイス、オーストリア、スロベニアを含む広大な領土を支配していた。後に分割されて、西フランクがフランス、東フランクが神聖ローマ帝国を経てドイツ、中フランスがイタリアに繋がっていく。念のためだが、ゲルマン人国家の神聖ローマ帝国と古代ローマ帝国には血のつながりはない。ビザンチン帝国@ギリシア正教に対抗するため、ローマ法王がカール大帝に強引に戴冠したのが始まりだ。

 島国の英国とフランスは早い時期に国家統一を完成したが、ドイツ統一は1871年の普仏戦争を待たねばならない。これは元々地方分権的な国民性と、30年戦争後のヴェストファーレン条約によって、元々脆弱だった神聖ローマ帝国皇帝の求心力が更に低下する反面、領内の公国などの自治権が確定したこと。神聖ローマ帝国ではオーストリアを含めて統一する大ドイツ主義が優勢だったが、非ドイツ人を多く含むオーストリアが難色を示したことから、統一は進まず。プロイセン主導で小ドイツ主義が推進され、オーストリアを含まない統一が達成された。ただし、後にヒトラーがオーストリアを併合する形で大ドイツ主義が復活することになる。大戦後の現在もドイツ連邦共和国(Bundesrepublik Deutschland)という国名のとおり、地方分権の意識は強く残っている。

 ここで、時間を少し巻き戻す。全くの余談だが、ラジカセやCDプレーヤーなどの再生機器のボタンは巻き戻しから早戻しに変わっている。カセットテープなどの巻きものからディスクが主流になったためだろう。

 英仏は百年戦争を始めとする小競り合いを続けて来た。13世紀初めに失うまで英国にはフランス領内に領土が存在した。両国はずっとライバル関係にあったと言っていい。そこに急速に国力を増大させてきたプロイセンに鉄血宰相ビスマルクが登場。国王ヴィルヘルム1世の元、普仏戦争含めた3つの戦争(デンマーク戦争、普墺戦争)に短期間の内に勝利し、ドイツ統一を果たした。

 当時のプロイセン(ドイツ)はとにかく戦争に強かった。軍制改革と徴兵制度、大モルトケ参謀総長(元帥)の采配など軍事的には他国の何歩も先を行っていた。英仏が仲良くケンカしているところに、新参者の独が現れたわけだ。

 ドウシマスカ_?1.ニゲル 2.タタカウ 3.ハナシアウ
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